深夜に訪れる虚無の話

深夜ですね。

こんばんはもちこがねです。

挨拶が定形になってきてるのを嬉しく思います。たとえ内容がぐちゃぐちゃでも、そこだけは規則的に毎回自分のブログだということを証明してくれる大事なポイントです。これからも忘れずに書いていきたいです。

 

深夜2時半を回ってからブログを書き始めています。リビングで今まで絵を描いていたのですが、なかなか上手くいかないので暇つぶしにブログを書くことにしました。タイトルは深夜に訪れる虚無の話です。名前の通り、深夜に訪れる虚無ってあるよねってことです。決して、決して賢者タイムのことではないのです。

 

ちょっと昔の話になるのですが、小学4年生だった頃、私は学校でちょっとしたいじめを受けていた時期がありました。小学生のいじめなんて気まぐれですし、私にもきっと悪い部分はあるので、それ自体はもう大して気にしていないのですが。女子にも平気で暴力を振るうようなガキ大将のような男がいて、思いっきりお腹を殴られたことがあったんですね。痛くて痛くてもう嫌だって思って、泣く5秒前くらいだったんですけど、私を庇って前に出た女の子がいてくれたんです。天使ですかね。

それで、前に出てその子は、「もちこがねちゃんは強いから、絶っっ対に泣いたりしないから!」って言ったんです。

その子が言った言葉が今でも忘れられないまま私は人前で泣かなくなりました。泣けなくなりましたって言い方でも過言ではないと思います。勿論感情が欠落したとかではないので、卒業式とかでは泣きました。あれは不可抗力だと思います。でも、例えばライブで感動した時とかにも、涙はここまで来てるのにぴたって止まって外へ出ていくことはないんです。

これと深夜の虚無がなんの関係があるんだって感じだと思うんですけど、端的に言うとその虚無の時間になると勝手に涙が出てくるようになったんです。つまり私は、「人前で滅多に泣かないやつ」+「深夜に1人で号泣してるやつ」の2本立てになってしまったということなのです。

 

これが始まったのは学校をやめてすぐくらいだったと思います。ひどい時だと1時間くらいずっと意味もわからずに泣いてたり、意味がわかってて泣くこともあります。あんまり悲しいとかもなくて、ただひたすら涙が出てくるみたいな場合が多いです。バランスを取ろうとしてくれてるのかなと思うと、自分の体のくせに有能だなありがとうってお礼したくなりますね。

虚無な時間はひたすら泣きながら今日1日あったことを思い出して反省点を洗いざらい出して、失敗を明日に生かそうと思って色々考えてやり過ごしています。そうじゃないとひたすら過去の失敗や嫌なことを思い出してネガティブになる気がしますし、楽しいこと考えてれば比較的さっさと終わる時間なのです。もっと簡単な解決策は早く寝ることなんですけどね!(無理)

 

絶対に泣かないなんて根拠の無い言葉でも、私にとってそれは第三者からのイメージになり、それの通りにいなきゃっていう命令意識のようなものが働くようなのです。実際私はその直後に何ともないような顔で笑いながら立ち上がったんだから、言葉のパワー恐るべしって感じなんですけど。その結果、そこからずっと私は強い私であり続けようとしました。中学の途中くらいまではそれでもバランスが取れてたのですが、多分途中でダメになって、最終的に高校に通えなくなるところへ多少は影響してくるんだと思います。

10歳の時のクラスメイトが、別に特段なにかメッセージを込めたわけでもないだろう一言、たった一言に7年間も引きずられてこんなことになっている私ってなんなんでしょう。こういうことが多いのです。誰かに言われたことがずっと頭に張り付いて離れず、私の劣等感の確かな源になっています。5歳の時に保育所の先生に言われた嫌味も、6年生の時にクラスメイトから言われたことも、どうしてもう高校三年生になるのに忘れられないんだろうか。

人の言葉にとらわれず、気にせずに生きていけるようになるためにはどれくらいのものを犠牲にしなきゃならないんでしょうね。少なくとも私が自分にあまあまなうちは無理なんじゃないかなって思います。誰かに自分が自分とは違う認識で情報として記憶されていることが怖くてしかたないです。これが多分、消えてしまいたいってことなのかもしれないです。

このブログの書き始めから終わりまでずっと泣きっぱなしだったのはみなさんも想像するに難くないと思います。

 

PS

マイナンバーカード作って貰える\(˙꒳˙ )/